10月9日、10日の連休、震災後の東北地方を初めて訪ねました。
今回は、私もメンバーになっている「職人がつくる木の家ネット」の年一回の総会が開かれたためです。
震災から7ヶ月、さすがに平静さを取り戻してはいますが、様々なところに、その痕跡が残り、話を聞けば聞く程、その道のりの遠さを感じざるをえません。
まず訪ねたのが、石巻から北へ30キロ程のところにある「宮城の明治村」と呼ばれる登米町(とよままち)。
これは、国の重要文化財に指定されている、旧登米高等尋常小学校。明治21年に建築された洋風学校建築です。設計者は山添喜三郎。天井高さも高く、材料も厳選されており、工事費も当時としてはびっくりする額だったそうです。
100年建っても、とてもいい状態だったそうですが、さすがに今回の震災で土壁がかなり落ちていました。
その後の訪問したのが、同じ設計者の木造洋風建築の元警察署。現在は警察資料館として公開されており、当時の取調室や留置所も体験(?)できるようになっています。
登米町は、伊達一門の葛西氏の居城があり、城下町でもあったそうです。
武家屋敷通りには、屋敷跡が今も残っています。
しかし、今回の震災で武家屋敷門などもかなり被災しています。
手前の空き地にも、大きな蔵があったそうですが、既に解体撤去されていました。
木の家ネットの仲間と建物を見ると、なかなか時間通りに進まないのが常なんですが、この日もあっという間に夕暮れになってしまいました。
最後に、横山不動尊に立寄り、宿泊地の追分温泉へ。
東北工大の高橋恒夫先生によると、気仙大工とは、現在の陸前高田市、大船渡市、三陸町、住田町、釜石市唐丹町などの旧気仙郡といわれる地域の大工職人を差すそうです。
その優れた技術をもって、東北のみならず、関東でも活躍した大工集団とのこと。
このお不動様の彫り物からも、その技術と心意気を感じますね。
そんな、職人たちがいれば、きっとかならず、地域を復興してくれることでしょう。
そう信じながら、みんなでお不動様にお祈りしたのでした。
つづく、、、、。
ラベル:東日本大震災 東北 登米 木の家ネット