こちらでは、レンガを積み、漆喰をぬる職人さんを「muratore(ムラトーレ)」と呼びます。「muro(ムーロ)」は壁ですから、そのものずばり、「壁をつくる人」。
日本の柱、梁構造とは違って,壁は構造そのものですから、建築することも意味します。
今回の旅のお供の一冊はこれ、小林澄夫さんの「左官礼賛U」。
今年の夏、長八美術館を訪ねた時に購入。飛行機の中でこれを読みながら来たので、ついつい視線が「壁」に向かってしまいます。
実は私、小林澄夫さんのことばに魅了されている愛読者の一人なんです。
左官、建築、ものつくり、職人への深い造詣と清らかな感受性。
それから、その詩のような文章の美しさ。声を出して読みたくなるような、、。
ほんの2ページの随筆で、ショートフィルムの様にその情景を浮かび上がらせるみごとさ。
「風景とは、風と景。景とは日影のこと。風景とは、風と陽の光の中に、顕(た)ちあらわれた森羅万象をいう。」で始る『私の風景論』。
そのあとも繰り返される、「歓待の風景」ということば。
歓待の風景・‥。神々を迎えたり、鬼を迎えたり、人を迎えたり‥。歓待するのは到来するものへなのだ。
この「歓待の風景」は、旅人になると誰でもとても敏感になるのではないでしょうか。
風と景がつくりあげる映像の中にあるもの、それは森であり、畑であり、人が造り上げた壁や屋根であっても、時と寄り添い、みなに開かれたもの、迎える心をもったもの、それこそが「美しきもの」なのでしょう。
美しき風景を残すことが、私たちの役目であることは間違いありません。
そして、職人の仕事については、このように述べています。
私たちは戦後、目に見える〈物〉を大切にするばかり、それらの〈物〉を生み出す目に見えない過程(プロセス)をないがしろにすることで、成果や結果だけを求める拝物主義、拝金主義に陥ってしまった。職人の技術は、目に見えないプロセスであり、身体とともにある目に見えないフォルム(形)である。
その土地の材料で、職人が造り上げて来たものには、西であっても東であっても同じ魂が宿っていて、異国の旅人にも、同じ様に語りかけてくれているのです。
また、訪ねたいと思ったら、「歓待の風景」に出会えた、ということなのかもしれません、、、。
一度地中海文化を味わってみたいです。
うらやましい!